top of page

兵庫県立障害児者

リハビリテーションセンター(愛称:あまリハ)

2020年

開所式 動画リンク

「成人移行期の課題」に対し、兵庫県肢体不自由児者父母の会 / 会長(現顧問)・副会長が、兵庫県に要望書提出(2016年2月)してから4年。信じられない位のスピード開設となりました。
実際の活動は2014年から阪神7市1町肢体不自由児者父母の会連絡協議会 / 理事の皆さんの共同作業によってアンケート作成・集計・まとめ等がベースとなっています。県を動かしたのは、そのアンケートの中の1人1人のアツい思い・言葉だったという...
更に、出席されていた県・市の議員さんたちの多さ(22名)から、どれほど多くの方々が尽力してくれたのだろうと.....  目的達成にはいろんな方法があるが、セオリー通りの王道を突き進む事が最重要と再認識。
あちこちで「悲願の」という言葉が響いていて感動的でもありました。「生きてるうちに設立されてよかった」という言葉の本気度も伝わり胸がアツくなりました。
ここから更に発展させていきましょう。

はんしん自立の家

1985年

「はんしん自立の家」は、阪神間の七市一町連合協議会の父母の会と協力しあって、兵庫県宝塚市に建設されました。現在、50人のハンディキャップのある「入居者」が生活しています。
入居者が親から離れて、一人の社会人として、自分の意思で主体的に自由に「生活する場」であり、街の住人としての「地域の中で暮らし」、毎日の「装いと潤いのある暮らし」が当たり前のこととして進んでいくのです。「ノーマライゼーション」~一人ひとりが、同じ社会を構成する大切な人間であり、障害者ではなくハンディキャップのある普通の人として生活をしていく~を、「はんしん自立の家」で実現していこうと思っています。英国「チェシャーホーム」の理念を受け継ぎ、日本で2番目の「チェシャーホーム」として、1985年7月1日にオープンしました。運営は「社会福祉法人ひょうご障害福祉事業協会」が行っています。

・・・はんしん自立の家のHPより抜粋

現在も、阪神間の父母の会での会議、イベントで自立の家を使ったり、一緒に企画を持ったり、そんな優しい関係でつながっています。

青葉園設立

1981年

父母の会活動の中で、重度障がいを持つ子ども達が養護学校卒業後も自宅にとどまることなく、毎日生き甲斐を持って暮らして行く為に必要な施設として設立運動を進めて出来上がったものが青葉園です。西宮市独自の法外の通所施設として1981年に発足し、西宮市社会福祉協議会がその運営にあたってきました。その後の支援費制度、自立支援法と、めまぐるしい制度動向の中で2006年10月1日より生活介護事業所となっています。市南部市街地の中心に建つ西宮市総合福祉センターの一角にあり、市内全域より現在58名が通所。皆さん市内在住、19~69歳の人達です、月曜日から金曜日(一部土曜日も活動)ひとりひとりの自己実現や社会の一員としての役割を意識して活動しています。

こぐま園設立

1974年

「こぐま園」は、父母の会設立当初から会員からの熱い希望で市当局の協力・理解のもと、昭和40年代から障がいを持つ子ども達とそのきょうだい児を安心して預けられる施設として市からの委託事業としてスタートしました。きょうだい児を預かる施設は当時も今も稀有な施設ではないかと思います。

 

現在、西宮市福祉会館1階で「父母の会」で運営しています。※ 2019年3月末閉園
年間3,100人を越える子ども達を預かっており、年々その利用者は増えています。なお、昼間一事利用事業(市独自事業)と市から委託されていましたが、緊急一事支援事業の実施主体が県から市に移管された平成15年から緊急一時支援事業者として、事業を実施しており、無くてはならない存在となっています。 

西宮養護学校設立

1958年

西宮養護学校設立 1958年

「父母の会運動」「全入運動」がスタートしたのは、養護学校設立希望を市当局に要請したことから始まったといえます。

当時、就学免除制度が適用されていた障がいを持つ子ども達を「健常児のように学齢期に普通に通学できる学校を」という親子の希望を訴え、昭和33年から養護学校をスタート、その翌年から現在の場所に移転し、現在に至っています。

地域のひとつの学校として、存在することの意味を地域の皆さんに理解してもらう中心的役割となっております。

現在通学している生徒達は年々重度化しており、その殆どが医療的ケアが必要となってきています。単に教育的な目線だけではなく医療的ケアのご家族へのよりそい、緊急時・災害時の障がい児・者のケアにも目を向け、教育、医療、福祉三位一体を目指します。

bottom of page